建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第36話  未来の事象のために用意された舞台としてのマダン
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韓国の庭を「マダン」と呼ぶ、中庭はアンマダンである。マダンには決まった役割がないし、形や体裁もはっきりしない。
 
マダンが置かれている建物や、施設の役割や機能を受けて、多様に変化するのだと言う。例えばそれが集落の共同井戸の近くにあれば、人々の井戸端会合の場に、四阿や集会所の近くであれば、休憩の場や時には祭りの場にもなる。それらは広場でなく、皆マダンなのだ。
 
そのような場所、マダンが集落の中にたくさんある。マダンはそこで起る未来の事象に対応する場所なのだ。言わば事の起るであろう未来に対して、用意された多様な舞台(ステージ)のようなものなのかも知れない。
 
こうしたマダンが住居の中にも沢山見られる。例えば倉庫や家畜が飼われいる行廊棟(へランチェ)の前は、作業具、樽、桶、が置かれ家畜が遊ぶヘランチェマダン(行廊棟庭)。接客や主人の場、いわゆる男の棟、舎廊棟(サランチェ)には、棟に平行してサランチェマダン(舎廊棟の庭)が置かれる。舎廊棟の反対側に日常生活の中心となる場、女性の棟と呼ばれる内棟(アンチェ)がある。韓国特有の庭、中庭(アンマダン)はこの内棟の庭を指す。
 
男の棟、舎廊棟が対社会に向けての接客や儀式的の場、つまり「ハレ」の場としての役割を担えば、内棟はそれらを背後で支える場、食事を造り、育児を行い、家事一切を切り盛りをする、言ってみれば「ケ」の役割を担った場なのだ。
 
中庭(アンマダン)は、これらの生活の行為を全てを受けている。そしてそれらの多様な生活機能に対応しているのだ。アンマダンには、大きな瓶や鍋釜等の台所用品から、洗濯物、子供の遊び道具まで、様々な生活用具が並び、溢れている。けして日本の庭園のように繊細に自然を映したような飾られた庭ではない。
 
その場は主婦の、女性達の喜びを映す場であり、悲しみの場でもあり、様々な生活のはけ口でもあるのだと言う。他人には知られたくないし、見られたくない場所でもあるのだろう。だからその場は住居の最も奧に置き、囲まれる必要があった。韓国の儒教的精心が見え隠れする。マダンは生活の自立を保ちながら、さりげなく人をより奧へと導く空間。アンマダンはその調整弁のようなものでもある。
 

 

   

 

 

 


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