建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第35話  祖先が宿る非日常的住居、祠堂(タダン)
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「基本的に、住居の中に個人ははないのです。韓国社会の基本は家族主義が中心で、全てに於いて個人より家族、家門が優先されたのです。」と静かに李さんの説明が入る。個人の主体は二の次なのだから、当然住まいに個室等の概念はないのだろう。その言葉で日本のかっての住居を思い出した。
 
今でこそハウジングメーカーのキャッチフレーズを、地で行くように個室住居とか、核家族とか、個人のプライバシー優先等と言うが、つい最近まで日本でも皆が一つ屋根に住み、家族中心の生活を送っていたのでないのか。
 
韓国のように貫徹された家族主義とは言えないまでも、個人より家族が優先され、家とはそのようなものとして受け止められていた。だから今日のような親と子や、家族崩壊等の問題は、あまり話題にならなかったのだろうと思う。
 
儒教の教えは親を敬う事を第一とする。つまり親孝行なのだが、李朝時代の家族構造は、さらに現世より死後の祖先に対する敬いを最も重んじていた。韓国では、祖先の祭紀権を継ぐ事が子として最も重要視されるとも言う。これは日本や中国の戸主権や財産を相続の目的とするのとは多いに異なる。
 
その祖先の位牌を祭る場所が「祠堂(タダン)」である。両班住居では家を築く最初にまず祠堂の位置を決め、その位置は家の全ての建物より高い位置に定めたと言う。確かにどの住居を訪れても祠堂は、舎廊棟の奥の高台に建てられていた。「一度築いた祠堂は何があっても壊す事は出来ない。一家の主人は毎日祠堂に参り祖先への礼儀につとめるのです、それが家長の役割なのです」と李さんが言う。
 
敷地の中に生きた家族が暮らす場と、亡くなった祖先の魂いが住む非日常的場が同居しているのだ。しかもどちらかと言うとその非日常的な場が強く、それらのもたらす規範が家族の価値となり、個々の全てに優先されてしまう。厳しい住まいの景観だ。そして集落はその延長に在る。
 
生身の人間であれば何時かそれらの重圧から逃げ、個人を取り戻したい時が在るだろう。家の周りに巡らした閉鎖的な土塀の構造は、そうした家族が主体を取り戻せる、最大の防御壁なのかも知れないと思った。さしずめ棟の間に設けられた中庭(マダン)は、厳しい家族規範の中で、密かに個人が個人になれる息抜きの場でもあるに違いない。
 

 

   

 

 

 


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