ソウルから慶州そして釜山へと一度は高速道で、次は列車で移動してみた。車も列車でも窓辺越しに感じた韓国の自然景観は、とても穏やかで何処でも人々が住み易く思えた。
日本のように切り立ち聳える山や、険しく高い山はほとんど見渡らない。起伏も穏やかで小山のような滑らかな山が、列車や車の窓辺の彼方に連続して続くのだ。
重なりあう小山が途切れると、決まったように緩やかな丘陵地と豊かな耕作地の風景となる。時にはその丘陵地をゆったり、ゆったりと川が流れたりする。
川沿いには農地が広がり、遥か背後の小山へと続いていっている。その農地の先、小山の麓は集落になっている事が多い。ハンの木やコナラの木に囲まれた小規模の村から、コンクリートのビル混じりの少し大きな町まで様々である。
自然に逆らう事なく、自然の在るがままに住まいを造り、そこに住む。村は総じて自然を加工する事なく、順応しながら築かれて行っているようだ。「背山隣水の集落」韓国風水地理思想は、こうした穏やかな水の流れや、人を温かく誘い込むような丸みのある山々、そして丘陵地、豊かな平地が支えていたのである。
窓から見る自然の景観は至る所が風水の「明堂」(ミョンダン、人の住む吉祥の小宇宙)に私には見えた。次はどのような明堂を見せてくれるのか。ソウルから慶州へ、心地よい窓辺越しの集落探訪であった。
そうした韓国の風水地理思想からみた吉祥の地、自然は今も昔もあまり変化していないように思われれるが、集落や町の造りは、ここ数十年に始まる近代化運動で、凄まじい変化が成されて来たようである。
14世紀から20世紀の始めまで、6世紀に渡り続いて来た李朝文化。それらを伝える伝統的韓国の村や集落、住居は特定な地域以外にほとんど見られなくなってしまった。
そうした李朝期の伝統的集落を慶州に訪ねた。かって新羅文化の中心地古都慶州周辺には、伝統的集落がまだ幾つか残っている。
良洞村(ヤンドンマウル)もその一つである。
良洞マウルは慶州の町より北へ25km程離れた肥沃な水田地帯の一角にある。集落のある周辺は幾つかの小高い山になっていて、その一帯だけが周囲の景観から際立って見えた。