四隅の建物はいずれも2階建ての入母屋造り。白い漆喰壁と板壁造りで、同じような外観をしているが各々の役割は異なっている。薬屋に、旅館(現在は店)、床屋、そして茶屋の4棟だ。
ここでの薬屋は医者が常駐しているから、日本で言えば診療所のような機能を持つ。床屋は散髪だけでなく住民のコミュニティやたまり場にもなる。
旅館は宿泊を通し人々へのサービスの施設だ。茶屋は単にお茶を飲む場所だけでない。お茶を飲みながら重要な商談の場と、商人や農民達の情報交換の場となっている。こうした施設が富安橋の4隅を支えている。つまり橋がそれぞれの異なる機能を繋ぐ役割を担っていて、一つの一体化した施設のようにさせているのだ。まるで運河上に出来た有機的社交場だ。それも様々な職業と階層の人々が自由に出入りできる、水辺ならでの楽しい社交場である。
橋はアーチ型の石橋で出来ている。全長17m強、巾4m弱、水面から高さが何と6mもある。だから通りから橋の路面までは階段で二十段近く登る事になる。ほぼ建物の2階と同じ高さだ。その高さを住民は毎日登リ下りする。時には自転車を抱えたり、リヤカーをひて登る者もいる。橋詰めの4隅の建物は、橋の袂からの出入り口と路面からの出入り口の2ケ所をもち人々の利用に対応している。、なんとも立体的でダイナミックな橋と建物の姿である。
水辺の集落には共通して実に沢山の楽しく意味深い橋が多い。富安橋のように人々に幸いをもたらす橋もあれば、商売繁盛に繋がる橋、渡る人の健康や延命いをもたらす橋、家族の安全祈願を叶える橋等様々である。
橋は集落のその時々の苦しさや楽しさ、言わば人々の思いや願い投影して築かれているのだ。だからどれ一つ同じ形がないとも言う。
二階の茶屋に登ってみた。運河に面し壁が取り払われ、驚く程開放的部屋になっていた。水辺を渡る風が心地よい。そこから橋を渡る人々が見える。運河越しに町中が、そして江南地方の水辺の景観と穏やかな空がみえた。富安橋は14世紀の中頃に築かれたという。
何かが変わったようで、何も変わってないのだと伝えているように思えた。