建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第27話  中国水辺の集落.2
      水路は生きている 湖に囲まれた周庄

主人なき家 村を去る人、戻る人

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周庄は周囲を大きな湖で囲まれた美しい水辺の集落,水郷鎮である。周囲の湖から引かれた水路が集落内を木目細かく走る。
 
水路の両側には街路樹ならず,水路樹が優しく茂る。柳が多く,楠や鈴掛けの木も見られる。水路や小道一杯に広がる枝に鳥かごや,虫かごを下げ楽しむ者,その下に椅子やベンチを置き休息の場とする者,様々な姿が見られる。
 
緩やかに流れる水路と木々の緑が重なり合い,水路は住民に格好な潤いと憩いの場を提供しているようだ。住居や店,寺,廟,公的施設等あらゆる施設はみなこの水路に面して建てられている。
 
集落の面積0.4ha,はゆっくり歩いて1時間程で周囲を一周出来てしまう。けして他の水郷鎮から比較すると大き方でないが,全体に一つの集落としての纏まりが感じられ歩いていても気持ちが良い。
現在の人口4000人,1950年代の文革の影響で一時は2000人近くまで減少したと言う。
 
案内人の李さんの説明によると,文革の中で旧地主や商人達が家を捨て,国外や他の地域に出て行ってしまい,そのあと戻った人もいれば戻らない人もあるらしいと言う。そうした家に今日多くの家族が住んでしまっている。
 
どうもそのへんは単に集落の人口問題で済まされる事ではない。政治的にかなり複雑で私達にはなかなか理解出来ない。そうした問題をいまに引きずる一件の家を訪れた。
 
水路と細い路地に面し,間口は狭いが奥行きが50mは有にある劉さん宅である。この家に何人住んでますかと訪ねると,「現在4~5家族かな,昔はもっと住んでいたよ」などと劉さんの家のはずなのに,分けの分からない答えが返ってきたのだ。
 
案内人李さんの通訳によると,劉さんは文人として毛沢東にも使えた人で,その時代にここに移り住んだらしいのだ。「この家の本来の所有者は,文革の時代に何処かに行ってしまって戻ってこないよ。その後に多くの家族が何処からかここに住みこんだ。多い時には12~13世帯はいたように思うよ」
12~13世帯と言えば一家族5人としても一つの家に60人以上が住んでいた事になる。大変な数なのだ。調査の中で周庄や,水郷鎮の中にはこうした住居が非常に多い事が分かった。
 
劉さんは今年85才,子供が7人おり,子供達は皆結婚して出てしまった。今は奥さんと二人暮し。「同じ屋根の住民と昔も今もあまり話し合う事はないがね,年を取るとこうした暮らしは心強いね。それに周庄によその国々の人々が最近訪ずれるようになり楽しいよ」とも言う。
 
多くの民族が棲みあう中国ならでの答えか,全ては変わる,しかし何ごとも長い時間をかけて判断しなくてはいけない,と諭されているようにも聞こえた。周庄を始め,水郷鎮は多くの課題を残しながらも,かっての農村文化の中心地から,新たに観光地として新しく生まれ変わろうとしているようである。
 

 

   

 

 

 


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