5月下旬,日本なら初夏の心地よい風を受けるはずが,湖上を渡る風は身を切るように冷たい。年間平均気温が4~5度,ここでは夏でも人々は冬支度なのだ。
チチカカ湖の湖面は,沖に進むにつれて輝きを増す。空の蒼と湖の澄んだ色が溶け合い見事なもう一つの碧を生みだしていた。可能ならこの碧を一辺でも切り取って持ち帰りたい。そのような衝動にかられる美しさだった。
その碧の湖面の先に目標の浮島が見えた。湖に浮いているその姿は,何か不思議な国を見ているようで,私達にはとても神秘的で,神々しい風景に思えたのだ。
島に上がると子供達の熱烈な歓迎が待っていた。カメラを構えると,子供達が我先にと寄ってきて,何やら声を発て手を差し伸べる。私達はその意味が暫く付かめず,カメラを手にただオロオロとしていたのだが,すぐにそれがお金をくれと言うジェスチャーである事に気づく。子供の発する声の中に「お金,お金‥‥‥」と日本語らしい言葉がハッキリと聞き取れたのだ。
次に又怪し気な日本語が聞こえるでないか。「オ・テエ・テエ・ツゥ・ナイデ・ノォ~ミイ~チオ‥‥‥」何処かで聞いたような。-何だこれは‥‥‥。我々誰もが声を失った。こんなに苦労してここにやっと辿り着いたのに。
世界を巡る集落の旅の中で,この時ほどやるせない気持ちになったことはない。熱い浮島にかける思いは急激に冷えてしまった。こうなると島に在る全てが,何か見せ物のように思えてしまう。トトラの家も,学校も,家蓄小屋もこの浮島も人なつこい子供達さえもだ。いや見せ物はこの島ではない。私達が格好の見せ物なのかも知れないと思った。
本当にこの島浮いているのだろうか?。島の中央近くの広場で跳ねると島全体が揺れ,トトラの住居も学校も皆大きく揺れた。確かに浮いている。この島ではお金等なくても,トトラさえ在れば住まいも生活用具も,漁の船も,住宅地さえ手に入るのだ。
子供達の「お金,お金」の合唱は,その生き方が今崩れようとしていると,叫んでいるように思えた。さらにその叫びの未来に,なぜか土地の高騰の中で喘ぐ,日本の現状が重なって私には見えた。そして思った。悪いのは子供達でない。そうした言葉やお金を勝手に教え持ち込む人達なのだと。