日干しレンガの壁に草屋根の小さな住居。乾ききった空気が住居の土壁を脆くさせるのだろうかどの住居も角を失い歪んで見える。幾度かそうした住居を訪れ,内部を見せてくれないかと頼んでみた。
答えは何処でも同じ。ジッと私達を見つめ,無言で家の戸を閉められるだけであった。あの人懐こい子供達でさえ,遠目で私達を監視するようにここでは寄ってこない。リマを離れて3日ほど,私達はこの厳しく,辛い風景の中にいた。
出発して4日め,岩肌剥きだしの景観に薄らと鴬色の草が混じりだす。辺はそれまでの荒れた斜面地景観から見晴しの良い台地になった。何か闇を突き抜けて空の上に出たような感じがする。相変わらず小石混じりの荒れた土壌に変わりはないが,空が抜けるように蒼い。インディオの故里,アンデス高地に入ったのだ。
標高3000m前後にできた広大な台地は,アルトプラーノとも呼ばれ,人の膝程の鶯色した草「イチュム」が生い茂る。イチュムは茅に似た草だ。見渡す限りが鶯色の草原地帯だ。
暫くするとその草原の中から,首の長い山羊のような動物がピョコピョコと顔を出す。リャーマである。インデオ達が放牧をしているのだ。それ以外に草原の上に出ているものと言えば,リャーマを飼うインデヲ達の土壁の住居,それに白い雪を抱いたアンデスの幾つかの山ぐらいのものだ。
薄らとした鶯色の草原と澄んだ空の蒼さが,リマからの乾ききった斜面地の景観より潤いを感じさせてくれる。しかしインデヲの私達を見る目に変わりはない。クスコに近い草原で,40~50棟の土壁の集落とその住居をやっとの思いで訪ね,見る事が出来た。それにしても彼等の全てを拒むような,この閉鎖性は何なのだろう。
人が誰もいないような小道でも戸の隙間や,壁の向こうから無数の眼が私達を睨んでいるのを感じる。まるで厄を持たらす厄病神を見つめるような,冷ややかな眼である。謎めいたインカ帝国の滅亡に,いまだに怯えていると言うのか。
だとすると彼等に取って私達はやはり今でも,厄をもたらす同類の異国人,征服者の仲間として映っているのかも知れない。地上の楽園アンデス高地が急に私達に厳しい試練の場に思えてきて,身を引き締めての旅となった。