世界の集落や民家を訪れていると、私たちがそれまで位置づけていた国のイメージが、ずい分異なっていたりすることに気づく。つまり、私たちに伝わってきていた世界の国々の情報が、ある一部分であったり、特殊な事例を強調したりしたものであった結果なのだが、知らず知らずのうちに、すべてがそのようであると、私たちが勝手に決めつけてしまっていたのだろうと思う。
たとえば、日本を今でもチョンマゲ姿や舞妓さんに、そして富士山、芸者と位置づけている人や国があるように、私たちもまた、世界を、その国々を勝手にイメージし、位置づけてしまっていることが多い。
「木の文化」とか「石の文化」との決めつけも、同様にかなりいい加減な位置づけである。日本を?木の文化?と称し、ヨーロッパを「石の文化」と呼ぶ。誰に教えられたというわけではないが、どうも日本人の一般的な常識として、今ではそのようにとらえてしまっていて、日本を?木の文化の国?と見ている。
最近築かれていく住まいや、ビルの建築状況を見るかぎり、誰しも日本を?木の文化?とは思わないであろう。がしかし、かつてはそうであったということは、地域の古い民家や古い建築物を見るとうなずける。
一方、ヨーロッパを「石の文化」と位置づける。これには大いに反論したい。
これは、ローマ、ギリシャ文化を背景にした一部の強国(イタリア、ギリシャ、フランス、ドイツ、イギリスなど)の都市や建築を総じてとらえたことと理解するが、あまりに一方的で偏った決めつけのように思う。
それらの位置づけがいかに一方的なものであるかを、ここで詳細に述べるつもりは毛頭ないが、ヨーロッパにも日本に負けず劣らずの、素晴らしい木造建築や民家、その集落があるのだ。そうした「木の文化」のヨーロッパの側面を、これから少し取り上げてみることにする。