地中海に面した南ヨーロッパの国々には、当然、石造建築が多い。しかし、海岸地域はそうであっても、少し内陸に入り、山岳地域になると、石と木の文化となり、やがて木の生活になる。石の文化を代表するイタリアであっても、フランスであっても、アルプスを背にする地域には素晴らしい木造住居や集落がある。
スイスやオーストリアに至っては、石の文化というイメージより、私たちにはアルプスの山々を背景にした美しい大屋根の木造家並みのほうがなじみやすい。ドイツやイギリスにしても、かつてはヨーロッパを代表する木造建築が数多く築かれた国であったし、そうした木造技術が新大陸アメリカに渡り、開拓者たちを支え、今日のアメリカ住宅の基礎になっている。
これから二回にわたり紹介するヨーロッパの東、つまり東ヨーロッパ、ポーランドやチェコ、スロバキヤの国々は、私たちにはあまりなじみのない国々である。しかし、木造建築の集落や民家が残り、今日でもそうした木を通した生活がなされている地域としては、世界でも有数の国の一つにあげられるだろう。
東ヨーロッパを北から南へと貫くカルパチア山脈。ポーランドは北部をバトル海に面し、その南端はこのカルパチアの山岳地帯となっている。ポーランド王国のかつて首都であったクラクフは、ポーランド南部の古都、唯一第二次大戦で戦災を免れた町であり、近年世界遺産にも登録されたことで一躍有名になった。
そのポーランド南部の古都クラクフから、さらに一〇〇キロほど南下すると、スロバキヤとの国境地、タトラの一大森林山岳地に出る。一帯は、ポーランドの国立公園に指定されている。おおむね標高九〇〇メートル~二五〇〇メートルがそのエリアで、そこに築かれている建物は、そのほとんどが木造建築。しかも、太い丸太を横積みにした校倉式建築(ログハウス)なのである。
屋根は急勾配で、軒を深くし、日本の入母屋のような形状をしている。屋根裏利用の二階建てが標準だが、最近建てられたものには三~四階建てもある。木材の利用は多様だ。外壁のみならず、屋根材としても使用している。ドアや窓の開口部にも使われているから、建物全体がすべて木で造られているといっても過言ではない。
こうした校倉造りの独特な入母屋外観を、この地域の地名をとり、ザコパネスタイルと呼んでいる。そのザコパネスタイルの建築が、タトラ高地一帯で数千、いや数万はあるだろう。これほど数多くの木造建築を、校倉建築を私はかつて見たことがない。いつの時代から、こうしたスタイルが定着したのか定かではないが、その近くで訪れたホホワヴの村は、十八世紀頃に築かれたという。
道路に妻側を見せながら、奥に深い集落構造をとっていた。家と家の間は細長く残された作業場で、その作業場に住居や離れ、家畜小屋、納屋などが並んで建てられている。それらがすべて校倉造りの建築なのである。人間だけでなく牛や馬も、木造のログハウスに住んでいる。そして、目に入るすべてが、町の役場も教会も、ここでは校倉造りであったり、木造建築なのだ。
ここには「石の文化」を示すものは何もない。「木の文化」そのものである。