人々は、それらの神仏を今日でも大切にしている。一日は、それらの神仏との出会いと交信から始まるのだ。そうしたネワールの生活慣習を今も色濃く残しているのが、三都の中でもっとも静かで、古都にふさわしいバクタプルの町である。
この町には、人間の町というよりも、神々の町と呼びたくなるほどの寺院がある。一説には、家と同じ数だけの大小の寺院があり、住居の数と同じ数の神様がいるとも言われているほどなのだ。
町は、かつて王宮があったダルバール広場を中心に、東西に細長い構造をとっている。町の全長、おおよそ二キロだが、この町には直線がない。道は右に左に曲がりうねる。時には上り下りもする。道幅もけして一定ではない。まるで複雑な迷路である。
しかし、歩いていて少しも不安な感じがしない。迷っても、必ず道の交叉する所や、少し広くなったような場所に、小さな寺院があったり、ほほえましい姿の神仏や祠があったりするから、目標しになるのだ。目標しは、皆それぞれに特徴のある神仏であり、神の館なのだ。これほど安心できる道標は他にない。それらに付随するように、パテイと呼ばれる公共の休憩所があり、そこに必ずいく人かの住民が座り、話し込んでいたりする。
驚いたことに、パテイは町中の要所至る所にある。時には広場を囲むように、二軒三軒かたまっていたりする。ほとんどのパテイは間口三~五メートル、奥行き二メートルほどの小さな造り。木造・高床で、壁は一~二面しかない。他は柱のみで、開放的な造りをしている。これらの少し大きめなタイプがサッタール。二階建てで、二階は休息できるようになっている。さらに、大きなものがマンタバという。いずれも、旅人や修行者のために設けられた公共休憩施設で、ネパール中にこうした類の施設が見られる。とくにヒンドゥー教や仏教の寺院が多い三つの都市は、信者の巡礼地でもあり、とりわけ多いのだ。
バクタプルの迷路も、よく観察しながら歩くと、神仏の場とそうした信者の場(旅人の場)が、常に対になって用意されていて、そこは小さな広場化された人々の憩いの場になっている。さらに恐れず、道なりにすすめば、必ずどこかの大きな寺院広場に出る仕掛けになっているのだ。
複雑な迷路の造りと思えたのは、実はいかに神々と劇的な出会いができるかの、演出を意図したものなのだろう。町は巨大な劇場空間であり、神々との交信の場なのだ。そこにネパール中から、美しい民族衣装をまとった人々が集まってくる。雲上の生活者もいる。
神々の町、ここでは山岳地も盆地もない。皆が、この町、この舞台で、名役者になりきっているように、私には思えた。