カトマンズ周辺は平地も多く、肥沃な黒土に水田を中心にした農業集落景観だ。数十キロも走ると、そうした集落景観は、山間の急斜面を伴ったものへと変化していく。
カトマンズから離れること三〇キロ、周辺一帯は見渡すかぎりが山岳地帯となり、急峻な山並みが狭い谷から尾根に向かって重なり続く。よく見ると、それらの山肌は一面が雛壇状の耕作地となっている。ていねいに野石積みされたものもあれば、斜面を垂直に削り取ったものもある。
雛壇の高さは一~二メートル、それによって得られる平坦な農地の幅一~三メートル。なかには五~六〇センチと狭いものもある。猫の額のような大きさとは、このような広さをいうのであろう。
まるで、急斜面に沿ってクネクネと伸びる帯のような農地。その帯状の農地が、山から山へと、谷から尾根へと、そして見渡すかぎり続いている。なんという人間の力か! 人々の努力か! この風景を見ているとひとりでに胸が熱くなる。人々は、この帯のような農地に、トウモロコシや、麦、豆、ジャガイモ、玉ネギ、時には米だって作る。そして、家畜を飼う。
自給のために、農地は何よりも大切なのだ。だから、住居は斜面の尾根筋のわずかな平地に段々に築かれる。
こうした斜面では、基本的には農地が優先され、住居は分散型の配置をとる。時には二~六棟に集まって建てられている住居群がみられるが、ほとんどが兄弟や血縁関係者の住居となっている。
ドゥリケールで訪れた集落は、住戸数で一八戸全戸が農業を営み、ヒマラヤの山並みを望む斜面の尾根筋に、農地を見張るように散在して建てられていた。
住居は、妻入り、入母屋屋根の二~三階建てが多い。間口三・五メートル、奥行六・五メートルほどのまるで玩具のように小さな住居。一階には炉があり、台所と食事をする場、それ以外は羊の小屋である。二階が寝室、三階はトウモロコシや玉ネギなどの食料、穀物庫であるから、人の生活する場は、全体の三分の一程度である。斜面に沿って間口を極力狭くすること、住居の地面への接地面積を少しでも押さえることで、農地を可能なかぎり確保する。
こうした農地と宅地のギリギリのやり取りが、この住居の配列と塔状比を生み、なんとも不可思議でメルヘンチックな景観を生みだしているのだろう。それはヒューマンスケールの建築というよりも、むしろそれが矮小化され、山羊や羊の家畜に合った形態、アニマルスケールの建築というべきなのか。いずれにしても、帯状の雛壇にことのほか、似合った集落景観であった。