エーゲ海の島々を渡る船は、この絶壁の真下に着く。絶壁の上の町までどれくらいの高さかとクルーに聞いたら、即座に三〇〇メートルと答えが返ってきた。三〇〇メートルを登るのは、絶壁に刻まれた踏み面が一メートルもある階段(最近ケーブルカーが取り付けられた)で、くの字形にいくつも折り返しながらティラの町まで上る。
八〇〇段まで数えて止めてしまった。観光客を目当てにロバの送迎もあるが、ロバのうるんだ目を見ていると、とてもその気になれない。この道ならず、この階段がティラの町へのメインアプローチなのだ。
三〇度を越える暑さが、絶壁の頂上に近づくに従って涼しく感じる。海を渡る風が涼しさと心地よさをもたらしてくれるのだ。その海からの涼しさに面して、住居は絶壁に重なり合うように築かれている。
よく見ると、絶壁側に建つ住居は、ほぼその半分を背後の絶壁の中に掘り込ませ、半穴居住居のスタイルを取っている。半穴居どころか、絶壁に細長くテラス状の前庭だけを残し、そのほとんどの居宅を岩の中に築いている住居もある。
絶壁から突き出されたテラスや前庭、建築物は、真っ白な漆喰で塗り上げられていた。
三日月型の絶壁の頂上に沿って南北に連なるティラの集落に入った。密集して建つ住居や店、教会、人間が歩くには程良い二メートルほどの道路、そして広場や狭い路地に至るすべての場や施設が、ここでも白い漆喰で塗られていた。通り一体が陽を浴びて目に痛いほどの白さである。
その白い壁に設けられた出入口や、開口部だけに鮮やかなペンティングを行うのが、このサントリーニを中心にしたキクラデス諸島の、今も変わらぬ建築様式らしい。
島の頂上の町に立って断崖からエーゲ海を見下ろすと、そのはるか彼方に、この島がかつて円錐形をしていた頃の島の一部、その残骸が望める。現在の島人口七〇〇〇人。太古の昔にこの島はその数十倍の人口をもち、エーゲ海文明の中心的な役割を担って栄えていた。それが一瞬のうちに火山で海に消えてしまう。
最近、歴史家たちの間であの幻の都市アトランティス大陸は、実存した都市であり、このサントリーニ島を示していたのではないかともいわれたりしている。
エーゲ海は確かに多くの人々のロマンや謎を秘めた海なのだ。この海の色を、あの古代ギリシャの詩人ホメロスは「菫色の海」といった。菫のように優しく美しい海、そして栄えるものはいつか消えていく、儚い海ということなのだろう。