建築計画研究所 都市梱包工房

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第10話  トルコ中央高地の集落.2 祈るための住居
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 より快適で、居心地のよい場所を求めてさまよい歩く。
 人間にとって、俗世間を離れた別天地、理想郷を求めることは、今も昔も変わりはない。”桃源郷”とか”エデンの園”とは、そうした理想郷を称える言葉でもあろう。
 自然が穏やかで、すべてに潤い満ちた環境、そうした場は誰もが求める場所であって、だからそうした場所には古くから人が住み、町や都市ができる。がしかし、世の中にはそうした場に見向きもしないばかりか、その逆の環境を求める人もいる。修行僧とか修道士と呼ばれる人たちである。
 桃源郷やエデンの園に対して、そうした場をどのようにいうのか、思い当たる言葉が浮かばないが、おそらく”受難の園”とか”苛酷郷”とも呼ぶべき場所であるのだろう。前者が楽園をイメージするなら、後者は地獄と思えばわかりやすい。
 トルコ中央高地の秘境”カッパドキヤ”地域を、地獄と呼ぶには語弊があるかもしれないが、その自然景観のこの世離れした姿や苛酷さは、それを十分に伝えている。
 その地獄ならず、カッパドキヤ地域の厳しい自然環境を求めて、修道士たちが各国・各地から集まり出したのは、四~五世紀頃からであるという。それから十一世紀頃まで、この地はピークを迎える。当時人口は、現在のカッパドキヤ地域の人口よりも多く、数千、数万というオーダーであったともいわれている。
 修道士たちは、カッパドキヤの中でも、より厳しく、険しい自然地形を求め、選び、修行の場とした。 
 浸蝕された大地が数十キロにわたり続く、ベリスィルマ渓谷は、渓谷に面して両岸に高さ数百メートルの垂直の岸壁が立つ難所である。その切り立つ岸壁に、点々と夥しい数の穴が見られる。修道士たちの修行や生活の場(大きさにして二~四メートル四方のものが多い)、その洞窟の出入口だ。
 穴は渓谷に近いものから、岸壁の中腹や一〇〇メートルほどの最高所に近い位置にあけられているものまである。どのようにして、洞窟まで辿りついたのだろうか、水や食料はどうしたのだろうか……などの疑問が次々にわいてくる。
 正気では考えられない。海抜にして一五〇〇メートルの高地は、ただでさえ荒涼にして、風雪が激しく、栄養失調や寒冷の中で、死に行く人が後を絶たなかったという。今でも洞窟の中から、そうした人びとの遺骨が発見される。
 

 

   

 

 

 


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