私たちの集落への旅の行程は、こうしたハプニングが加わり、大幅に遅れてしまうことになる。
そうした人も動物も加わった予期しないトラブルの中で訪れたサラーヨンの集落は、中央高地の放牧農家の典型的な集落とみてよいだろう。なだらかに起伏する荒れ地混じりの放牧地の中に、黄土の土壁を共有しながら築かれた二〇〜三〇戸ほどの集落である。
集落をくまなく巡る土壁の塀は、二メートルほどの高さで造られており、適度な距離をおいて、素朴な木戸の出入口が設けられている。その部分だけが少し高くなって、上部に草屋根を載せている。日本の茶室や民家の出入口のようでもある。
中へ入ると、広さにして一五メートル×二〇メートルほどの庭に出る。庭と言うよりも、そこは羊や山羊が放し飼いされた多目的な広場(囲み庭)で、その囲み庭に面して、家畜小屋や倉庫、そして居住棟が築かれている。つまり、家畜も人間も、一つの出入口から出入りする。囲み庭が共有する場となっているのだ。調査したこの家は、居住棟の一階部分も蓄舎とさせており、二階のみが家族の居室となっていた。塀を共有する隣家も、その隣の家も囲み庭を持ち、同様な構造をとっているようだ。サラーヨンの集落から三〇〇〜四〇〇キロも離れた、アフイヨンやカッパドキヤ地域でも、こうした囲み庭の住居が多く見られた。
住居の規模が大きく、家族も大家族になると、この囲み庭に壁を共有しながら、一世代目を中心に、二世代目やそれらの兄弟家族たちが別棟で住まいを築くことがある。人間だけでなく家畜も同様で、羊に始まり、山羊、鶏、牛、犬などの畜舎が、量に応じて築かれる。囲み庭に面して立ち並んだ、それらの棟はかなりの数となり、ちょっとした村か集落のようなにぎやかさである。
個よりも家族、家族よりも血縁や兄弟、そして集団の秩序を重んじるイスラムの社会を、見事に囲み庭は物象化している。
囲み庭型の住居構造は、中央高地の厳しい自然環境が生み出した一つの住まい方であろうが、今日の私たちの住まいが忘れてしまっている、多くの大切なものを伝えてくれているように思える。