トルコ中央高地に向けての旅は、ギリシアのエーゲ海からであった。一般的には、イスタンブールから首都アンカラを経て南下するルートをとるだろう。私たちは、エーゲ海の小島サモス島から伝馬船のような小舟で、トルコの最西端の町イズエールに渡った。ギリシアとトルコの国境エーゲ海は、その日は大時化で、小舟は揺れに揺れた。
両国の永年にわたる紛争を反映して、海も大荒れしたと言えば聞こえもよさそうだが、こちらは命からがらの出国であった。だいたい国境を越える船が、三〇~四〇人も乗れば一杯になる伝馬船のような小舟であることが、基本的におかしい。こうした出立は、普通は密入国者などと間違われるか、さもなくば、事情のある犯罪者などが密かに利用するルートと決まっている。
大揺れの船上、船酔いで半ば気を失いかけながら、遠回りでも正規のイスタンブールからのルートをとらなかったことを悔やんでいた。船上での嫌な思いは的中してしまう。トルコへの入国は、ことのほか厳しく、犯罪者扱いに近く、身にまとうすべての物を開かれ、晒し者のようにされてしまうのだ。
コンクリートの床面一帯に並べられた自分の所持品は、そこまで三カ月弱の永い調査期間で買い求めた物品や、雑多なものであふれ、我ながら国籍不明、密入国者と疑われてもしかたのない状況であった。それ以来”急がば回れ”を旅の教訓にしている。
そのようなトラブルからスタートしたトルコ中央高地は、やはり途中途中でトラブルが多く、悪戦苦闘の旅となった。
イズミールから私たちの目的は、一〇〇〇キロ弱先にある中央高地カッパドキヤ地方である。海岸沿いから離れるに従って、風景は農地や小石混じりの荒涼とした放牧地が多くなる。
時々、中央に白いミナレットを抱く、四〇~五〇棟ほどの土壁造りの集落が見られるが、それを過ぎるとまた、元の風景になる。道路は幹線道とは名ばかりで、未舗装のデコボコ道。ひと雨降れば、至る所に水溜まりができ、時には川となったりもする。ここでの幹線道は、私たちの考える車優先道とみるより、むしろ車も可能な道と考えたほうがよい。
夕方になれば、周囲の放牧地から家路を急ぐ人ならず、羊や山羊、時には牛の群れが路上にあふれる。こうなると、車は羊たちの群れの中に入ってしまい、身動きできない。彼らが通り過ぎるのを気長に待たなくてはならないのだ。