熱の太陽が、容赦なく私達を射す。ここ北インド、ガンジス川中流域、ウッタルプラデユンユ地方の四月から五月にかけての猛暑。あまりの暑さに、空気は澱み、風景が捻れてみえる。
家の中でさえ四〇℃近い。人間の身体に触れると涼しく感じる。外は五〇℃近いだろう。この暑さの中では、熱風と乾燥した空気で、大きく口を開いて話すことができない。
調査隊メンバーの誰かが、濡タオルで口と鼻を被うと比較的楽になると言い出し、濡タオルを顔に巻きつけた。
あっという間に、西部劇のアウトローよろしく、その姿が全員にひろがった。口元からタオルを離さないで、皆が話をしようとするから、モグモグするだけで何を言っているのか、さっぱりわからない。こうなると、相手の目の動きが言葉代わりで、お互い充血した目を配る。
熱風で喉をやられていることもあるが、暑さで脳を犯され、半ば思考力がなくなっている状態なのだ。事実、この時期の真昼時に、外で仕事をする者はインド人であってもまれである。
働き者の子供達も、農作業者も、露天商も、タバコ商も、水売りも、犬も、牛も……皆、家々の軒下や、バァーニャンやニーム、マンゴ樹などの木の下で休息しているのが、ごく普通の姿である。だから私達が、そうした時期に、集落や民家を求めて歩いている姿は、濡タオルのマスクをしなくとも、彼らにとっては異様な姿として映っているに違いない。
猛暑の北インドに、バァーニャンやニームなどの大樹の繁みがなかったらどうなるのだろうと、考えるとゾッとする。
インド人にとっても、私達にとっても、動物達にとっても、それらの大樹は、灼熱の太陽からのかっこうの避難場であり、神々が与えてくれた天然の涼み場(クーラー)なのだ。
インドの集落は、そうした樹木を農地に、集落内部に、巧妙に配置しているように思う。農地や荒地では、適度な距離を保って点在される。それはまるで乾いた大地に緑の碁石を並べたようにもみえる。
集落が近くなると、その点在は、いくつかの緑の固まりとなってくる。大きな固まりもあれば、小さくひ弱に見える固まりもある。総じて、大きく形も美しく見える固まりの下には、施設も整い充実した集落があり、人々の暮らしぶりにも潤いがみられるのだ。