世界の屋根、永雪のヒマラヤ山脈。その北に広がる標高平均四〇〇〇メートルの高原、東西二五〇〇キロ南北一二〇〇キロは、日本が六つも入ってしまう。世界最高にして最大のチベット高原である。この高原を西端から東へ、チベットの母なる川、ヤルツァンポ川が流れる。
この川は、ヒマラヤ山脈を迂回し、インドに出て、ブラマフトラ川となり、ガンジス川となって、やがてベンガル湾に流れ出る。ヒマラヤ山脈をほぼぐるりと、言ってみれば裏から表へと回ったことになる。気の遠くなるような距離である。永雪と氷河の高原から灼熱の大地インドへ、数千キロに及ぶ道程である。
川は川上から川下に流れる--当たり前のことである。が、それに逆行してこの川を上流へと、何年もかけて遡る多くの人々がいる。ヤルツァンポ川、源流の聖地、カイラース山への巡礼者達である。
ヤルツァンポ川は、多くの人々にとって、神や仏への悲願の道でもあるのだ。
この川を、私もいつの日か訪れ、渡ってみたいと思っていた。思い立って数十年後、やっとその機会を得た。訪れたヤルツァンポ川は思惑に反して、清流ではなく、泥混じりの川であった。幅にして四~五キロはある。濁流は岸辺の荒地や一部農地を呑み込み、どこまでが川であり岸なのか境がわからない。離れて見ると、泥の川は山々を映し、空や雲を映し、すべてを呑んだ静かな湖でもあるかのようにも観えた。
ツェタンの町は、このヤルツァンポ川の中流域にある。ポタラ宮殿でお馴染みの、あのラサから二〇〇キロほど東に入った位置だ。
この周辺一帯は、チベット王国の発祥の地として、多くの遺跡や寺院を残しているが、町から数キロも離れると、樹木のない禿山がいくつも現れ、谷間に一大農地が広がる。
チベット人の生活は、大きく牧畜民(ドクパ)と農民(シンパ)に分かれる。西の高地は牧畜民が多く、東は農耕民が多い。当然、場所によっては、牧畜と農耕の兼業もある。ここに掲載しているヤルル渓谷の村は、農耕集落である。