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第7話 魚梁瀬杉

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黒潮の山岳地を守り支える日本三大美林

 森林探訪を始めてから1年が過ぎた。静岡県の天竜を皮切りに、南へ北へと巡り、昨年秋の木曽谷探訪で粗くではあるが日本を一周した。その報告は本誌に連載の通りである。
 結果をうんぬんいうのは、まだまだ旅の途中なので避けたいが、スタートしたこの時期が、大きく見れば21世紀への変わり目にあたり、世界的に環境問題が叫ばれている中で、揺れ動く日本各地の森林状況や、木を通してそこに生きる人々に出会い、それらを報告できたことは、貴重な体験であった。それらの事柄は、今後重要な意味を持つはずであると自負している。
 私の思う土佐の国は、冬でも菜の花の咲く、いわばプロ野球の冬季キャンプ地でおなじみの高知県であった。しかし訪れると、そうした私のイメージはもろくも崩れた。そこに待っていたのは、東京よりもはるかに寒い土佐の森林だった。
 山地を吹き渡る風は、粉雪まじり。身を射すばかりの寒さに、私たちの甘い考えは吹き飛んだ。高知は常夏の国ではない。そして海の国でもないと思った。聞くところによると、県土の84%が森林面積である。これは全国一の森林率であるというから、高知県はまさに森林の国である。
 余談になるが、3日ほど高知に滞在した中で、黒潮の海を見たのは、ほんの数分。それも空港から魚梁瀬への移動の車窓から眺めた程度の海であった。さらに、時ならぬ寒さで震え続ける私たちが口にした高知滞在中の食事のほとんどはアマゴやアユ、山菜、イノシシや牛肉などの山の幸であった。ごちそうには違いないが、土佐沖の戻り鰹や新鮮な海の幸を想像していた私たちには十分すぎるほどの山の洗礼だった。そうしたことが重なり、高知を森林の国と思わせたのだ。それだけ高知は広く奥の深い県であると見るべきなのだろうし、日本も大きいとあらためて感じさせられる20世紀最後の森林探訪となった。

天然魚梁瀬杉が支えた日本の歴史と木の文化

 魚梁瀬という地名は、その文字が示すように、魚を捕るための梁(魚を捕る仕掛け)と、その川の瀬からきている。この魚梁瀬は、高知の東南端、室戸岬を北上した徳島県境の山岳地にあり、その一帯(現在はほとんどが国有林)で生産される天然の杉を魚梁瀬杉と呼んでいる。
 その名の通り、魚梁瀬には川や瀬が多い。標高500~1000mの山岳地に年間5000mmの降雨量がある。1日に300mmもの大雨が降ることもあるという。こうした雨が山を駆け、谷を下り、瀬となる。安田川や奈半利川は、その代表的な川である。冬期は積雪もあり、マイナス3℃近くになるが、平均気温15℃と総じて温暖な気候にあるという。こうした多雨、湿潤、温暖な気候が、日本の三大杉(秋田、吉野、魚梁瀬)のひとつと呼ばれる銘木を育んだのだろう。
 魚梁瀬杉が有名になるのは、豊臣秀吉が京都に築いた大仏殿建立に際して魚梁瀬杉を大量に使用してからである。当時、すでに土佐は全国一の木材産出地でもあったというから、土佐を森林の国と位置付けるのはまんざら間違いではない。特に奈半利川上流の魚梁瀬杉は良材であるとして、その後藩政になってから、御留山として厳重な管理下におかれる。江戸城や幕府の重要施設の普請材として提供されたり、藩の財政を支えたのだ。明治以降は国有林になって今日に至るのだが、無尽蔵とまでいわれた魚梁瀬杉も昭和30年代には底が見えることになる。
 現在は、極端な伐採制限を行い、天然魚梁瀬杉の伐採量は、年間3000㎡程度としている。木曽檜も同様であったが、国有林、天然森林は、樹木の木材としての価値から、その樹木が生息している環境そのもののもつ価値評価に移っている。魚梁瀬をもつ高知県案芸林業事務所では、その森林の管理方針を3つに分けて考えている。

 第1は、水土の保全。第2は森林と人との共生。第3は資源の循環型活用である。伐採量3000㎡/年間という数字が、その答えであろうが、魚梁瀬の木材に生きてきた人々にとっては死活問題である。魚梁瀬杉の主生産地であった馬路村や魚梁瀬地区の人口動態がそれを良く物語っている。馬路村(昭和22年に魚梁瀬村と馬路村は合併し馬路村となっている)の人口は天然魚梁瀬杉の伐採が盛んであった昭和30年代前半までは人口3500人もあったが、現在はその約3分の1の1240人前後まで落ちている。馬路村が最も栄えたのは、木材需要が活発であった明治、大正、昭和の初期頃までであった。それを象徴するかのように、馬路村には明治時代に四国で最も早く森林鉄道が敷かれ、大正時代には蒸気機関車(昭和30年代に廃線)までが導入されている。魚梁瀬杉がいかに村にとっても県にとっても貴重な資源であったかは、魚梁瀬杉の伐採量と村の人口が表裏をなしていたことでも証明される。
 

 

   

 

 

 


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