建築計画研究所 都市梱包工房

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第4話 吉野杉

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吉野川が育む悠久の森と銘木・吉野杉の成り立ち

 吉野川沿い、吉野町丹治は吉野林業の栄枯盛衰を知る町だ。ここに原木市場が開設されたのは、昭和14年のこと。それまで吉野川上流の吉野材は、吉野川を筏流しで下り、和歌山市場に運ばれていた。吉野で生産された原木であるのに、吉野川を下って隣の和歌山(紀州)市場の商品になってしまう。考えてみれば、おかしな話である。しかし、当時の力関係は、川下の海に面した紀州が圧倒的に強かったのだろう。それを今に伝えるかのように、吉野川を紀ノ川と呼んでいることなどは、川上(吉野林業地域)と川下(和歌山)の複雑な関係を物語る。吉野川の川上と川下の途中に原木市場を開設する。これは木材界に生きる者にとって、大変なことだったろう。吉野材原木市場ができたことで、丹治の町は一大木材加工町として発展していく。現在、木材需要は減退期にあるが、それでも丹治には製材加工場が60、そのうち40が吉野材専門の加工場であるという。そうした木材加工場・製材場が整備されていれば、当然、その周辺には木材を生活用具などの商品として加工、販売する店もできる。吉野の杉・檜材を使用した割り箸、三宝、樽、桜細工、杉木目細工、まな板、食器、桶などの浴室用品……などなどの工場である。
 そのうちいくつかの工場を、吉野町森林組合参事の坂本良平氏、奈良県南部農林振興事務所の西本順蔵氏の案内で訪ねることができた。いずれの工場にも共通していたのは、吉野材を木端まで無駄にしないで使う精神と卓越した技術である。そして、そのいくつかは、業種の担い手が高齢化している。伝統的な木材化工業の中にも国際化とか貿易の自由化の動向が厳しく襲ってきていて、極端な価格競争になっており、その対応に高齢化した経営者が夢を失いだしている。
 そうした吉野町丹治の木材加工の発展や吉野材の需要拡大、PRを行う場として吉野木材振興センターを昭和61年に設立している。施設内には、吉野杉を用いた数寄屋造りの茶屋をモデルに、吉野杉の様々な利用方法が展示され手に取って見られる。併設して吉野杉の木材市場もあり、吉野材を知るには大変便利な場となっている。

歴史の悲哀の象徴、吉野の桜と吉野川上流の自然環境

 桜で有名な吉野の山は、この木材の町、丹治の背景一帯の山を指す。吉野川沿いから吉野山に向かった、下から下千本・上千本・奥千本と、尾根筋伝いに咲く花の姿を伝える地名と古社寺・古い家並みの坂道が続く。この地は、古来、宮人をはじめ、多くの人々が憧れる魅力を秘めた場として存在してきた。しかし、歴史の中に栄華の地として登場するよりも、どちらかというと、政治的敗北者の再起の誓いとか、死に別れに関係し、その悲哀を伝える場となることが多い。桜花は、そうした昔の宮人や武将の思いを伝える花として大和や畿内の人々に好まれてきたのだろう。
 桜花も終わり、6月、梅雨時期の吉野の山には、雨に打たれた樹々の緑が鮮やかに輝き、杉や檜の深い緑と見事なハーモニーを生み出していた。
 銘木で名高い吉野杉は、この吉野山を超えた吉野川上流の森林地域で育った杉をいう。川上村、東吉野村、黒滝村の3村の森林6万9000ha(そのうち78%の5万4000haが人工林)から生産される材だ。同じ吉野郡の北山川、十津川流域の森林で生産される材も包括して吉野杉と呼ぶこともあるようだが、杉の銘木“吉野杉”とは、前記の3村に限られている。この3村は、吉野川の源流域でもある大台ケ原を主峰とする台高山脈で東南部が占められており、西南部には、全国に女人入山禁制で名高い修験者の本拠地、大峰山系、山上ガ岳(1719m)の山々がそびえる。これらの山々によって吉野は台風などの自然災害を受けにくい地形にあるといわれている。
 

 

   

 

 

 


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