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第3話 日田杉

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森林組合オリジナルのログハウス、「ログ・キャビン」は一夜にしてならず

 日田杉の活用と日田群森林組合の活動
 津江山系が誇る杉の美林も、木材や木製品として活用されて初めて意味をもつ。語るのは簡単であるが、実際、職業として成立させるのは大変である。こうした問題を全国各地の多くの森林地域でも抱えている。その多くは計画の段階で挫折するか、事業達成の半ばで断念している。木材市場がそれだけ厳しい状況下に置かれているとの例でもあるが、やはり木材活用や商品開発のうえで、どこかが甘いか狂っているのだ。商品を生み出す材料は,林業地であるからあふれるほどにある。事業資金も,林野庁をはじめ国や県の補助を受けられるから,他の産業から見たら,うらやましいくらいに有利な立場にある。
 とすると、残るは商品を作り出す“人”の問題になる。この、人の問題が、最も重要であり難しい。その点、日田は人に恵まれ、その、人の組織組が比較的スムーズに運ばれているかに思えた。日田林業地域の木材加工については、二つの大きな森林組合の役割を抜きには語れない。
 ひとつは筑後川上流の日田市森林組合であり、他には二町三村(大山町、天瀬町、上津江村、中津江村、前津江村)の合併による日田群森林組合である。あのOKU-HITA LOG CABINのログ・ハウジングとして全国に知れ渡っているのは、後者の日田群森林組合であり、日田林業の中心にあって、最も木材活用に力を入れている組合でもある。今回の日田林業地域の取材は、その日田群、とりわけ上、中、前の3つの津江村を中心に行った。結果として、日田群森林組合の活動やそれらの協力関係者による木材加工や施設づくり、商品開発などの報告が多くなっている。今日の日田林業地域を代表する木材活用は、日田群森林組合を抜きには語れないということでもある。
 その日田群森林組合は、昭和51年に日田群森林組合木材共販所としてスタートした組織が基盤となっている。二町三村による現在の日田群森林組合として発足したのは、昭和53年のことである。当時、こうした広域合弁の森林組合は大分県下で初めてのことであったといわれる。組合員は3598人。二町三村の人々が1万6981人(平成5年現在)であるから、なんと人口の20%以上が森林組合員なのである。いかに当地域が森林に依存し、昔から林業とともに生活を営んできたかがわかる。職員、従業員を合わせると140人以上。これらの人々が森林の維持管理に、木材の加工に、そしてログハウスの加工・販売に当たる。いまや日田群森林組合は、地場産業というよりも県を代表する木材産業として成長している。ここで、日田群森林組合の主たる木材加工状況を中心に、日田群における木材活用を整理してみると、大きく4つの方向に分かれそうである。

日田杉活用の4つの方向と夢をつなぐ人々

日田マシンカット・ログに見る、丸ログと角ログの技術開発
 ログ・ハウジングの原型というか、源は、昭和58年度に上津江村役場の行政事業企画課が、間伐材利用の一環として杉の丸棒づくりを行ったことに端を発している。これが円柱加工機による当初の丸ログ加工場であり、やがて今日のログ・ハウジング工場となる。
 日田群森林組合が、その工場と機械設備を譲り受けて加工・販売を行うのは、昭和61年からのことである。つまり、それ以前は、村役場が木材活用のために始めた事業であったのである。人口1500人にも満たない、九州の小さな山村でのことだ。
 当時とすれば、大変に勇気のいる事業であったと推測するし、その関係者に、心からエールを送りたい。
 

 

   

 

 

 


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