建築計画研究所 都市梱包工房

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第2話 尾鷲檜

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尾鷲材を生んだ、海と山の密接な関係・恵まれた地の利

 木の国、尾鷲檜を支える自然と風土
 紀伊半島の紀の国は、かつて鬼の国とも、木の国とも呼ばれていた。それだけ自然が深く、豊かであったことを示すのだが、訪ねてみれば、その言葉は、現在も十分に通じる森林の国である。飯高、熊野、龍神……。尾鷲はその代表的な森林地域である。その尾鷲に向かうには、松坂市を通るのが、今も昔も一般的なルートである。他には海を渡るか、極端に迂回した山越えとなる。したがって、この松坂は交通要所であると同時に、紀伊半島の木材資源が集積され、それを製材加工して全国各地に出荷する町としても名高い。最近、そうした加工場や、木材関係者が一同に介し、「ウッドピア松坂」という大組織になって、国際競争にも対応できる、一大加工流通拠点に生まれ変わろうとしている。木の国ならではの、未来の木材活用に向けられる熱い思いを多くの人から聞かされた。
 尾鷲への道は、この松坂から山越え峠越えで約100km、車で2時間ほどの距離だ。途中、宮川の渓谷を渡る。宮川は伊勢に通じる川でもある。この宮川に突き出るように、伊勢神宮の別宮として名高い瀧原宮の森がある。樹齢数百年のスギやヒノキが宮域内に鬱蒼と茂る。ここは、木の国、神の国でもあるのだ。山と山間集落、小さな町をいくつか超えて、大内山村から紀伊長島町に入る峠は、垂直に近い岩山が重なり合う、昔からの難所、荷坂峠である。ここで、左手の山並みを眼下に、海が見えた。東紀、熊野灘の海だ。熊野灘の荒波は、山々の間に深く入り込んで、暗緑色の切り立った山間に白く光る海のたまりをいくつも見せている。熊野特有のリアス式海岸。この海が尾鷲にもたらした恵みは計り知れないものがあるという。この荷坂峠を越えると右手に急斜面の森林、左手に熊野灘の海の景観が多くなる。松坂からずっと続いていたスギ林の風景は、ヒノキ林を中心とした森林景観に変わる。
 年間降雨量は4158mm。尾鷲の人は、「弁当忘れても傘忘れるな」というくらい、この地域には雨が降る。これに年間平均気温15.2℃の暖かい気候、さらには、海に向かっての急傾斜の地形と、岩と石混じりの地質が、尾鷲材の樹性特徴に深く関わっているのだ。標高1000mの山の頂きに降った雨は、川を下りわずか10kmで海に吐き出される。言い換えると、それだけ山が険しく、海が接近しているのだ。したがって森林より伐り出された木材は、他の森林地域のように林道から川に、そして街道から町へのルートをとるよりは、直接、山から海に運ばれ、海路を通して各地に出荷された。特に陸路の発達しなかった江戸時代にあっては、海運を通じて、紀州の薪炭、木材は江戸と、その周辺の関東方面に大量に運ばれていった。

優れた先人の山林家たちがつくりあげた、尾鷲檜の森

 尾鷲の森林と海、大規模森林所有者の系譜
 全国に名高い尾鷲檜材とは、紀伊長島町、海山町、尾鷲市の一市二町の森林面積にして、約4万haの森林から産出されるヒノキ材のことをいう。約4万haの森林のうち、民有林面積が82%、約3万3000haと多く、その90%がヒノキの人工林であるから、人の入れる場所全てに手が加えられ、見渡す限りヒノキの森林といっても過言ではない。
 人工林の歴史も古く、17世紀初頭に、薪炭をつくるために伐採した雑木林の後に、スギやヒノキを植えたのが始まりと聞く。
 急傾斜地で岩盤や石混じりの土質の上、平地は極端に少ないこの地域では、農業はほとんど行われず、その代わりに漁業や林業が発達していった。漁業や海運業で富を得た商人の多くはそれを森林に投資した。その結果、大商人や漁民による大規模山林所有者が多く生まれることになる。尾鷲市の土井本家に見られるように、今でも3000haもの森林所有者がいるという事実には驚かされる。尾鷲はひとことで言うなら、大規模山林家で支えられた林業地域と見るべきだろう。ちなみに、尾鷲地域の民有林3万3000ha所有内訳を見てみると、500ha以上の大規模森林所有者は8人で、その大規模森林所有者が所有する面積は、全体の約45%、1万4800haに及ぶ。つまり、0.2%の人で尾鷲地域の森林面積の半分近くを所有しているということだ。これに100ha以上の山林家を加えると、所有者は45人で、その所有する森林面積は、全体の66%となる。1.2%の山林家でおよそ一市二町の半分以上の森林を所有していることになる。
 尾鷲林業で特記すべきところは、それら大規模山林家の比率が高いだけではなく、それらの当主がほとんど地元に在住し、今も林業に努力をし、その先頭に立たれて林業および地域のために苦労をなされていることである。
 尾鷲の気候条件や自然環境を生かした、8000~1万本/haによる密植方法、多間伐、短伐期による樹木の生長を抑えながら、良質の柱材を得る林業技術は、明治中期には、既に確立されていたという。
 

 

   

 

 

 


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