建築計画研究所 都市梱包工房

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第1話 天竜杉

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最近は、少しでもよい市場を求めて、春野材も取り引きされているという。良材が切り出されると、天竜の市場ではなく吉野とか東濃とか、時には秋田の市場に出され、その市場のブランドとして流通することもあるのだそうだ。“山師”という言葉も、こうした木材のもつひとつの価格のあいまいさを指してのことなのだろう。いずれにしても、これだけ森林環境に恵まれてきた春野町でありながら、伐採したスギ、ヒノキの原木を加工し、商品化していこうとする動きは、これまであまり見られなかった。川上地域の特性なのかもしれないのだが、ほんのり赤みの春野産中目板(板材)等は、十分に商品価値があり、天竜材というブランドからのひとり立ちも可能ではないかと思う。
 「最盛期は町内に17軒の製材所があったのです。それが現在では、4軒になってしまった」という町役場の説明をうかがうと、木材の製材や加工、そして商品づくりは、我々が考えるような単純なものではないだろう。しかし、その逆もある。専門家が難しいことを、素人がやってしまう。春野材を少しでも付加価値を付けて商品としてアピールしていく動きは、実はそうした人によってなされはじめた。
 工房を主催している山口直拓さん。春野木材加工協業組合の進藤博行さん。春野材にこだわる木工作家の太田さん等は、皆、春野材が好きで、他県から移り住んだ人たちで、その経歴も、木材とは無縁である。
 山口さんは、横浜から昭和56年に当地に来られ、現在、川上地域でスギやヒノキ材を使用した、園芸製品、家具の制作販売を行っている。やはり同時期に春野に来られた進藤さんは、東京でコピーライターをされていた。子供さんの健康を心配され、家族で移り住まれる。現在は林業者の西野栄男さん達と、スギの磨き丸太をつくったり、ログハウスの部材を加工したり、プロ顔負けの仕事をこなされている。実は、春野木材加工協業組合も、木材加工のプロがはじめた組織ではなく、18年前に若手林業者数人が集まって自前のスギやヒノキを、磨き丸太やログハウスの校木を加工、販売する組織として発足させたものである。
 今、こうした春野産ブランドを目指す火種的状況は着実に町内で起こりつつある。

スギ磨き丸太のログハウスはいずこに

 春野木材加工協業の西野さん達が手がけた弁天島緑地休養施設(一般には弁天島ログビレッジ)集会棟は、国産材を活用したログハウス歴史上、重要な位置を占める建物と考えられる。
 その理由の第一は、施設全体に地材としてのスギ間伐材を利用し、それらを磨き丸太のタイコ挽きにしたものを耐力壁として利用していること。
 第二には、上下断面および太さの異なる校木の交叉加工に、独自に開発した機械を導入していることや、校木の重なり断面加工、ダボ加工に特別な創意工夫を施していることである。これらは一部特許技術となったり、数々の実験の結果、建築基準法第38条の評定を受け、その構造上の安全性が高く評価されたものとなっている。
 第三は、集会棟の建設および職人に関わることで、建設が工務店に頼ることなく、林業者が積極的に参加した、いわば素人の自力建設方式を試みていることである。
 また、この集会棟の建てられた、昭和55年といえば、今から約20年近く前。まだログハウスという言葉が国内では一般化していない時期でもある。そうした時代に、外国産ではなく国産スギ材を使用したログハウスであったことも、国産材活用という視点から、重要な意味を持ってくるはずだ。開発および技術指導をしてきた筆者としては、建物ともども、建設に参加された方々の熱い思いを今後も大切にしていきたいと考えている。
 弁天島ログビレッジの集会棟で培われた技術やアイデアは、町役場や森林組合、若手林業者、県内の有力企業が加わり、市販化が検討されログハウスの販売会社を設立することになる。春野ログホームズの誕生である。目標はおおむね年間20棟の受注と建設。春野木材加工協業が、それらのログ加工を一手に受けることになる。木材は当然、春野で育材されたスギ材である。ここに林業者を中心にした小さなログハウス加工の地場産業がスタートしたのだ。昭和57年のことである。

 

   

 

 

 


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