建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第60話 紅河デルタの集落と民家
     国境の棚田、モン族の集落
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
ハノイを紅河に沿って上流へと向かう。道路は相変わらずバイクやシクロ(自転車を改造したタクシー)でごった返す。時々それらの中にてんびん棒に荷物を担いだ人々が出てきたり、牛が歩いていたりする。
 
各々に固有のスピードを保ち、各々がマイペースの動きなのだから混雑するのは当たり前なのだろう。暗黙の了解なのか、互の車体が数センチの距離で微妙にすれ違う。今度こそは衝突かと思わずヒヤリとするが、振り返ると誰も倒れてはいない。
 
助手席に乗っている私を見てドライバーのグエンさんは、その度小さな黒目の顔でウィンクする。人なつこいその仕草になんとも怒るに怒れない。大きな街や道路沿いの集落がやって来る度にこの渋滞が繰り返す。目指す国境沿いの山岳集落地帯まで数時間、我慢するしかないのだ。
 
水田の豊かに見える山間の食堂で昼食をとった。出し物はベトナムの主食であるフォー(日本のうどんに似た米の麺)とゴイクオン(米の皮で包まれた春巻き)である。そのフォーを旨そうにすすりながらグエンさんが言った。
 
「ベトナムは南北に細長い国、南部と北部では気候が大分違う。気候の暖かい南部では米が年に3回取れるが、この辺は四季があり、冬10度以下になるから米が1回しか取れない」と言う。
 
ベトナムは米が主食。料理の多くが米に関係している。だから米が年に3回も多く取れる南部は豊かで、人々の心も大らかだとも言う。グエンさんは南部のホーチミンの出身なのだ。その点北部や中部の人々はインテリが多く、生真面目で努力家であるとも言う。米の生産が地域の豊かさや、そこに暮らす人々の気質にも深く関わっているのだ。
 
ハノイから4~5時間走ったろうか、車はどんどん険しい山岳地をうねるように走る。それまでの長閑な水田の風景は一変し、山間の山腹に沿って築かれた棚田の景観となる。集落は数棟単位で棚田の外れに築かれていた。多くは藁葺きや根の高床式の造り、丸太や竹の柱にヨシズ(細い竹を編んだもの)張りの粗末な造りが多い。山岳地の少数民族集落。彼等紅河上流の棚田を造り主として農業を営んでいる。途中道ばたで民族衣装を纏い、行商をする一向に何度か会っった。黒や赤しろ、紺色、鮮やかなみどりの布、刺繍あり、頭もの、首飾り等多様ないでたちであった。
 
ベトナムにはおよそ54の少数民族がいるらしい。最も多いのがキン族で全体の90%を占め、ベトナム語を話す。いわゆるベトナム人である。それ以外が少数民族で、異なる言葉、異なる慣習、そして異なる民族衣装を纏う。
 
私達が谷間の道ばたで出合い、その集落に案内された一行は、黒と藍染めの比較的地味な衣装を着た黒モン族の女性達だった。モン族は働き者、控えめな人々が多く他に白モン族、赤モン族、花モン族等がいると言う。女性達について、狭い谷筋の道を30分程歩き棚田の集落に出た。斜面を切り開いた平但地に、10棟程の切り妻屋根の住居が建てられていた。どの家も地面から1m程床を高くしてある。その高床下に鶏や豚等が放し飼いされていた。床下は家畜の寝場所にもなっていたのだ。
 
家の中に案内された。階段をあがるとそこは間仕切りのないがらんどうの板の間、一棟が一つの大きな部屋なのだ。出入り口以外に小さな開口部あるだけで窓らしいものがない。だから室内は薄暗い。明かりは竹で編まれた壁の隙間から射し込む細かい光。至る所から降り注ぐように射し込んでいた。
 
床を見ると壁と同じように隙間がある。その隙間から床下で動く豚や鶏の姿が見られる。山岳地と言え夏は蒸し暑いのだろうか。私達には床から壁から、時には屋根の隙間から無数に射しこむ光りが眩しく、そして誰かに覗かれているような気がする。何か虫篭に入っているような気分で、慣れないせいか落ち着かない空間であった。
 
何の間仕切りもない、単なるワンルームの床と思えた住居であったが、その床にもあらかじめ定められた機能がある事が分ってきた。鍋や釜、食器等置かれている辺りが台所や食事の場なのだろう。良く見ると竈が置かれていた。
 
壁の隅に夜具が幾組みか置かれている。そこが家族の眠る場なのだろう。こうして70~80平方mほどの床に目をやると、置かれている、物ものと家族の日常の生活機能が対応している事が読み取れる。間仕切り壁がなくともここでは目に見えない暗黙の了解の壁があり、家の機能が充分に整理されているのだ。 
 
竈の近くの壁沿いに山積みされた色とりどりの布の山と、切り刻まれた木辺の山が見た。何の場かと尋ねると市場に出すお土産品を家族で造っているのだと言う。働き者のモン族らしい。おそらくこの谷一帯の家々が棚田を耕すだけでなく、こうした内職をしているのだろう。
 
そしてそこで生産された物、ものは一夜の内に紅河を下り、ハノイに運ばれて行く。ハノイは背後に広がる紅河デルタに生きる人々によって支えられ、農民が造り上げた都市である事が改めて実感できた。道々の渋滞もそう考えると悪くない。都市と農村の関係はそうした持ちつ持たれの関係が理想なのだろうとも思った。
 


 

 
 

   

 

 

 


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