建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第48話  南仏の山岳村.3 水は集落の命
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
鷹の巣村の午後、陽は少し傾きかけているが黄昏まではまだ数時間ある。家々の壁の色が陽にあたり僅かであるが茜色になりだしている。村に入ると建物の陰が長く伸び、広場の中頃までを黒く染めていた。その陰の模様と、陽の光で輝いている石畳とのコントラストが美しい。見愡れて立ち止まっていたら、杖を抱えた老人に声を懸けられた。
 
年の頃70才前後だろうか、頼んでもないのに一方的に、広場の片隅に建つ石像の説明をし出したのだ。どうやら私の視線がその石像にむけられていて、石造に興味があると思ったらしいのだ。
 
そこにはどう見ても美しいとは思えない、大きな人の顔をモチーフにした石像が建っていた。その石像の顔の口元から水が垂れ流れている。足下には大きな石の容器、口から流れ出る水はこの容器に溜められる仕組みなのだ。
 
老人はさらに石像の後ろの施設を指差し、杖を片手に手を擦するジェスチャーをする。そして「今は使われないが、ここは村の大切な洗濯場だよ」と。さらに立続けに、興奮気味に目を大きく開き「水場は村の命だよ、村の水場はここだけでなく村の通りや広場にもある」とも言う。
 
老人指差す洗濯場は3本の太い石の柱で支えられていた。間口5~6M程あろうか、3方を石積みの壁で囲みドッシリとした造りをしている。水を噴く奇妙な顔の石造も、アートを好むコートダジュールの人達ならではのユーモアなのか、この洗濯場と対になって村の楽しいコミュニティ水場となっている。
 
急に老人の言う、村の中にも沢山のあるという水場が見たくなり、黄昏れ迫る村の奥へと入った。水場は老人の言われた通り、村の幾つかの箇所で見かけられた。人々の目に触れ、集まり安い場所に置かれているものが多い。きっと多くの村民や旅人にも利用される事を願って置かれたのだろう。大別すると石畳の通りに造られているものと、教会や公の広場に面して築かれているものに分かれそうだ。
 
 
 
どの水場も個性的で楽しい造りをしていた。そしてどれ一つとして同じ形のものがない。教会広場の一角、崩れかけた石壁の前に置かれた水場は、中央に吐水口を一つだけ持ち素朴な形をしていた。吐水口に手を当てると、程よい冷たさの水が手から腕へと伝わり、旅の疲れを癒してくれるようで心地よい。
見上げると淡い紫の花を沢山付けた蔦が下がり、その花のさらに上を被うようにオリーブの大木が木陰を造っていた。
 
演出された風景なのかそうでないのか分らない。しかしその場は村の人達の水場への思いや、水の有り難さを充分に伝えてくれていた。
 
さらに石畳の坂道を村の奥へと歩いた。両側に迫る建物は殆どが石造り、積まれた石は風雪に耐え色褪せ角がみな丸い。丸くなり朽ちた石の間に土や漆喰を積めている。それがどの家でも異なり全体として美しく、複雑なファサード造り上げていた。数百年の時と人々の労苦がなせる味なのか、そこに確かな中世の町並みがそのまま生きずいているように感じられた。
 
石畳に目をやると、大きな石盤の間に親指程の小石がびっしりと詰められていた。よく見ると小石は一つの石を中心に放射状に並べてある。どうやら花をイメージしているらしい。その花が路面に階段にまで敷き詰められているのだ。こんな所にまで街を飾ろうとする心が伺える。
 
村の中腹の路上で、子供達が水を掛け合い遊んでいあた。陽はすっかり傾きかけて家々に明かりが灯り始めていた。よく見るとそこは噴水のある小さな広場で、噴水は一段と高い位置に置かれたギリシャの水瓶の形をしている。その側面から勢い良く水が弾けていた。
 
水は遠くアルプスの山より湧き出る水を利用しているのだろうか。こうした高所の村では水の自給が人々の生死をになっている。その自然からの恵み、大切な資源をどのように村の中で利用し備えるかは、集落各々で、さらにはそこに住む住民意識によって異なってくる。この村では水を集落の共有する資源として利用しているのだ。その思いの一端が共同の洗濯場や、水飲み場、さらには噴水広場になって表わされている。
 
夕暮れの中で必死に遊ぶ子供達の姿を見ながら、老人の「水は村の命だよ」の言葉が今の自分や、水の国とも言われる日本の風景の現状にも向けられているように思われた。
 


 
 
 

 
 

   

 

 

 


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