建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第46話  南仏の山岳村.1 山頂の村
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
雪に閉ざされたヨーロッパアルプスの深く暗い森を抜け出ると、そこは光に満ちた地中海。
 
一年中暖かく穏やかで凌ぎ安い気候。アルプスの暗緑色の針葉樹に変わり、ミモザやオリーブの明るい木々が至る所に茂り海風に揺れている。家々の庭には真冬でも草花が絶えない。厳しい自然の中に生きてきたアルプスの人々に取って、さらにはパリのように建築が密集し合う大都市に住む人々に取って、この地は至上の楽園に映ったに違いない。
 
コートダジュール(紺碧な海岸)、人々はこの地をそう呼んでいる。この地が世界の保養地として有名になり出したのは19世紀の初め頃からと言われる。それまでは海岸沿いの小さな漁港や街であった所に多くの人々が訪れだす。とりわけアーティスト達(画家や彫刻家)の自然に対する鋭い嗅覚がこの地を好んだようだ。ルノアール、マチス、ピカソ、ジャン・コクトー‥‥‥等。
カンヌやニース、モナコ等はその代表的な都市であろう。
 
この地域のもう一つの魅力は紺碧の海岸と、海岸沿いまで迫るアルプスの険しい山々である。多くの集落や町は、海岸沿いであっても一面を地中海に、もう一面を急激な山岳地に面して築いている。その為町中は急な坂が多く変化に富んでいる。海と山の幸に恵まれている事からも、太古の昔から人々が住み、集落や町を築いている地域でもあるのだ。
 
近年海岸沿いの町は益々観光地化され、何時の間にか隣の町と繋がって、一つの大きな町化されてしまった。しかしその海岸より数キロ背後の山岳地に入るとそこは別天地で、驚くほど静かで古い町並みを今も留める村がが多い。
 
ヨーロッパアルプスの険しい山々は、海岸沿いに近づくに従い木々の緑だけでなく、それまでの大きな山脈のうねりと塊を、細かい無数の険しい小山や突起に変えたようである。コートダジュールより数十キロ山に入った南仏の風景は、そうした小山とも突起とも見れる山々が綿々と続く。
 
集落はそれらの小山や突起、急斜面を覆い隠すように、時にはしがみつくように築かれて見える。その殆どが内部に教会を持ち、城壁で集落を囲んだ典型的な中世の山岳集落である。古い村は12~13世紀に築かれたものもある。ほとんどの村の造りが当時と余り多きな変化をしていないと言う。
 
「豊かな海辺を離れ、どうしてこのような険しく不便な山岳地に人々はこのような集落を築いたのだろう」
 
古来よりこの地域の海はサラセンを始め多くの異民族に狙われ襲われた地域であったらしい。富める地域の悩みか。この地を求めたのは厳しい気候のアルプスの人々達だけでなかったのだ。人々は豊かな海を離れ、なるべく海の見える、高く険しい場所に集落を築くことになる。
 
求められる集落の最適な地形選択とは、住み易い場所よりもむしろ住み難い、他の人間が入り難いより厳しい地形だったのだ。そうした集落の事をこの地では「鷹の巣むら」と呼んでいる。あまりに険しく人々も住めない、鳥であれば強い鷹くらいしか住めない場所と言う事なのであろう。
 
その地形の厳しさもあって「鷹の巣むら」の内部は中世そのものであり、建築も道も集落の全てが人間の為の空間として今なを生きずいている。当然車も侵入が出来なかったりる。住民や訪れる人々は城壁の外に車を置き内部に入る。永い間で住民の移り変わりもあっただろうが、その都度誰もが町並みを変えようとしなかった。そればかりかより集落が築かれた当初の姿に戻そうとする動きが強い。
 
全てが変化して行く事を最良しとする今日、こうした行為を続ける事は大変であろうと思う。小高い山の尾根に確かな姿で立ち並ぶ集落の景観は、古来の人々が辿り着いた外部に対しての生きる為の防衛装置なのであろうが、その姿が今日まで変わらぬ姿として在るのは住民の労苦の結晶でもあるのだろう。
 
だから「鷹の巣むら」は見る人に不思議な安らぎと感動を与えてくれる。そしてなによりも美しい山頂の集落なのだ。印象派のアーチスト達の鋭い感性は紺碧の海だけでなく、この山々に囲まれた中世の小さな集落にも懸けられていたのだ。
 


 
 
 

 
 

   

 

 

 


■LINK  ■SITE MAP  ■CONTACT
〒151-0053
東京都渋谷区代々木3-2-7-203
tel : 03-3374-7077
fax: 03-3374-7099
email: toshikon@eos.ocn.ne.jp