建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第45話  心優しいジプシーの集団
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
ジプシー、この意味深く、嘆かわしいしい言葉に出会ったのは確か小学校3年の時だった。夏祭りで買ったカードゲームの中に、黒い帽子をかぶり鼻の曲った老婆の絵があった。そのカードを手にした者がゲームに負ける。要は運の悪いカードなのだが、絵が異国的で美しかった事もあり気になっていた。絵柄を当時ませた先輩に聞いたら「ジプシー」だと言う。
 
それから数カ月後、偶然図書館で読んでいた本の中に半裸で王の前で踊る女性の挿し絵が合った。絵の下に小さく「踊るジプシー」と書いてあった。子供ながらジプシーとは、人や男を悩ませる得体の知れない女性と心の何処かに残った。
 
それから十数年立って、酒を覚え始めた頃、新宿の酒場で黒い瞳を光らせフラメンコを無心に踊る女性を見た。フラメンコに詳しい友人が熱心に見入る私に耳打ちしてくれたのが、フラメンコの源はジプシーであるだった。
 
さらに時が過ぎて、私は大学の仲間達と世界の集落を訪れ始めた。今回の話は集落で出会った本当のジプシーの話である。
 
場所はギリシャの中央部、アテネより北へ百数十キロ入った辺り、海岸沿いと異なり、小高い丘陵地が重なり合い農地と放牧地の景観が続く。土壌は小石混じりでとても豊かな農地とは見えない。ここでは樹木さえも萎えいでいて地面に這うような潅木が多い。
 
集落はそうした山間や、オリーブ園の片隅に3~40棟位の固まりで築かれている。白い漆喰壁に素焼きの屋根がこの辺りの一般的佇まいである。暫くすると、そうしたギリシャスタイルの村と全然異なる住居が時々見られだす。
 
石を重ね積みした半穴居住居や楕円型をした藁屋根の住居等である。これほど異なる住まいの形式が山一つ、谷一つしか離れてないのに建っているのは珍しい。何か不思議な心持ちでそれらの風景の中を移動している時、草原の中に20~30棟の円錐形をしたテント住居群に出会った。めったに出会いないジプシーのキャンプ地である。草むらを欠き分け、恐る恐る近づいて行くと向こうから数人の子供達がやってきた。その背後から大人達もやって来た。
私達は草原の中でジプシー一団に囲まれてしまったのだ。それまでジプシーを女性とばかりとらえていた自分の思いは音をたて崩れた。皆体つきが大きく、痩せている。髪が黒く、目が大きい。なかなかの男前である。彼等の顔付きをみているとどうやら友好的のようである。
 
スケッチブックを取り出し絵文字とジェスチャーで「自分達は日本人で世界の集落を訪ねている、住居の中や村の様子を知りたい」と伝えると理解をしたらしく、この村の長のテントを見せていただけた。
 
テント住居は布製で直径5m程の大きさである。内部には寝具や食料、食器、衣類、手動ミシン等が雑然と置かれていた。家族構成は40才位の長夫婦と2人の子供、それから弟夫婦家族が同居し計8人がすんでいた。
 
テントの周りは、ペンキを派手に塗ったバイクや荷馬車、台所用品、テーブルや椅子が置かれている。テントとテントの間は仕事場だろうか、鉄くずや工具、ハンマー、炉等が散乱していた。どうやら鍛冶屋を生業としているようである。テントから離れて家畜と数十頭の馬が遊んでいた。彼等は定住をしない。数カ月単位で次の場所に移動をする。馬はその時の為に飼っていると言う。
 
長が何を思ったか私達を見て「これから一緒に旅をしないか」と言って来た。これには驚いた。我々を旅して歩く芸人とでも思ったのか、それとも心からの誘いなのか真意は分らない。長旅の中で心を打つ言葉だった。
 
このようなジプシー集団に出会ったのはこれが最後である。ヨーロッパの中のジプシーは各々の時代、各々の国の中で常に異端視され、差別されながらもやっとのことで今日、様々な場所に定住を定めたようである。
 
数千年の流浪の民の思いを捨てたのだろうか。思えばあの半穴居住居や、不思議な藁屋根の住居はその証だったのだろう。やがてあのテント村の麗しい集団も藁屋根を築き、時が立ち次の世代の者が、私達がギリシャ的と見たあの白壁と素焼きの屋根の家を造るのかも知れない。
 
私にはそれが正しいのかどうか分らない。ただ今でも子供のころのに知ったJ..Y.P.S.I.E.S の言葉の響きが心を高揚させる。
 


 
 
 

 
 

   

 

 

 


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