建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第42話  バリ島.6 朽ちるから美しい
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
早朝の集落、道路や広場の路面は神々に捧げられた小さな供物が初々しく光を放す。住居の前、店や寺、集会場の前、さらには村の守り木バーニヤンの樹の根元にも小さな竹皿や、短冊に切られた木の葉の上に色とりどりのの花や食べ物が載せられる。
 
竹皿は若い椰子の葉で編んだもので、人間の手の平だいの大きさをしている。一つ一つが丁寧に、シンプルで優しい形をした供物である。載せられる花の種類も果物も多様、各々に甘い香りを漂わせていた。まるでその供物そのものがこの世に存在しない、何か美しい一つの生命体で在るようにも見えてくる。
 
やがて陽が高くなり、道に広場に村人が溢れ出すと、この美しい生命体ならず供物は、少しずつ色褪せそして人や家畜に踏まれ消え行く。「僅か数時間で消えてゆく物に、これ程の手間ひまかけたデザインと加工をするのはもったないのではないか?」という質問に運転手兼ガイドのスジンさんは返事に困っている。質問の意味が良く理解出来ないのだろう。
 
供物をあげるのは慣習行事であり、そんな事当然で考えた事もないのだ。供物だけでなく、バリを飾る多くの建築や装具、物にも朽ち易い素材が使われているように思う。土、布、紙、竹、木材、木の葉、藁‥‥‥等の素材だ。石さえ朽ち易い柔らかな砂岩を好んで用いられている。
 
何処の国でも石は永遠を求める素材としあるが、ここではそうでない。細密彫刻を全面に施したヒンズーの神々も、石組みの建築も風雨に曝され朽ち易い石材なのだ。だから至る所で補修工事が行われている。時間をかけ精密に彫り込まれた彫刻や建築、勿体無いと思うが、脆く朽ちるからこそまた造り変えれるのだ。
 
そうした慣習が古いヒンズーの様式や、建築技術を次の世代に引き継ぐバリ風方法でもある。
島の南東側、かっての王朝の一つがあったクルンクルン県でテイヒガンというバリアガ(伝統集落)を訪れた。王朝の楽器を造る人々が多くすむ集落である。バリ島には他にもこうした専門職の人々が集まって住む集落(例えば鍛冶屋、織物、家具、石屋、植木屋等)が見られる。
 
村の集会施設や市場、寺が並ぶ交差点近くでガムランと呼ばれる打楽器を製作している家を見る事が出来た。大凡25m四方の敷地、周囲を高さ3M程の壁で囲んだバリ典型的な住居だ。
門をくぐると緑の多い中庭、それを囲むように独立棟が立ち並ぶ。寝所、慣習行事の棟、多目的棟、倉庫、浴室‥‥‥サンガ(様々な神々の祠)等である。
 
ガムランの製作所は出入り口に接した棟、薄暗い中で3~4人の職人が働いていた。お世辞にも奇麗な環境ではない。そこからあの装飾豊かな金色に輝く楽器が出来るのだ。どうもバリの諸々のアートや物は造られる物の美しさに反して、造る環境はお粗末な場所で造られている事が多い。後で知った事だがあの早朝の路面を飾っていた供物も実は、市場や路地の人や動物がゴッタ返す喧噪のなかで、座り込んで物を売る老婆や、女達の手によって造られ、売られていた。
 
両手と時には口、足を器用に使いあっという間にあの美しい供物を拵えていた。村に祭りが近いとあってテイヒンガンの集会場では、多くの女性達、男達によて祭りの準備がなされていた老寄りから若者まで、皆楽しそうに作業をしている。村びと総出で祭りの用具を造り、一方で教え合う。
 
島特有の楽器や音楽、そしてケチャやバロンダンス等の伝統芸、演奏者やダンサーのほとんどが村人で農業の合間に行っているのだと言う。ここでは皆が根っからのもの造り屋でアーチストなのだ。考えてみると、かっての日本の村祭りも手ずくりで、太鼓やお囃子に踊りも子供のころ村の誰かに教わりながら結構皆が参加していた。
 
いま物は機械化され巷に溢れている。がしかし私達は、その物が生かされたであろう祭りや場を、なくして来てしまっている。心の豊かさを求められている今日、バリに学ぶ事は大きいのではないだろうか。
 


 
 
 

 
 

   

 

 

 


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