建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第41話  バリ島.5 闘鶏の村
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
3月のバリ島、もうすぐ雨期から乾季に変わる。日中は茹だるような蒸し暑さである。午後2時頃になると、蒼い空を一部に残しながら激しい雨(スコール)になる。村で働く人々は、何ごともないように平然として、雨具も付けず働いている。道行く人も、遊び耽る子供達も皆同じである。
 
雨は暑さで弱り切った熱帯の田畑や森林を濡らし、1時間程で上がってしまう。そして後に嘘のようにまた蒼い空が広がり、雨に光る鮮やかな熱帯の木々の緑や色とりどりの草花、それらを渡る涼しい風が待っている。
 
今回3年ぶりにバリの集落を訪れた。この原稿はバリで書いている。海岸沿いの町はだいぶビルが造られ変化してきた。それに比べ島の中央部や山沿いの集落はさほど変わっていないのが救いだ。がしかし近年訪れる観光客を目当てに、住まいの一棟を土産店等に用途がえしている住居がかなり多くなって来ていた。
 
塀の中で各部屋を独立棟とさせているバリ島の住居は、この点棟の用途変更が容易く出来安いのだ。そして何よりも住まい棟のどれかが、店に変わったとしても日常の生活にあまり影響を与え難い構造になっている。
 
「店を造れば時々物が売れる。現金収入が入るから最近村の男達があまり働かなくなった。そればかりかその金を賭け事に使い遊ぶ者が多くなった」突然ガイドのスジン、ローラさんがとんでもない事を言い出した。我々にはどうみてもバリの人々は働き者に見えるから、この発言は「エッ、どうして‥‥‥??」であった。働き者で、熱心なヒンズーリストがする賭け事ってなんなんだろう?目指す集落に入ってその答えはすぐにでた。
 
熱帯雨林の彼方に集落の位置を示す割れ門が見えて来た。門をくぐると両側に村の集会場と寺がある。そのぶつかりが帯状の広場を持つ住宅ゾーンのようだ。住居や通りの両側に立つ建物の佇まいの造りからすると、歴史のある豊かな集落である事が伺える。
 
寺の脇が細長い広場、芝生のような草むらになっている。その広場に沢山の人々がかけ声をあげ集まっていた。各々片腕に大事そうに何かを抱えている。何とそれは目つきの鋭い軍鶏である。広場のあっちこっちに5~10人程の輪が出来て、その輪の中で軍鶏が死闘を繰り広げていた。
 
男達の片手に汗ばんだ札束が握られていた。歓声はこれらの輪からなのだ。こうした輪が夕方になるに従い多くなり、陽の沈む頃には広場は人で溢れ、屋台の店まで出る始末、広場どころか道路までが闘鶏の場になっていたのだ。なんとも凄まじい光景である。毎日夕方になると同じ事が繰り返されるのだろうか。ガイドの心配ごとが理解出来る。
 
一軒の住居を訪れた。門をくぐると右手、山側にサンガ(いろいろな神様の祠が安置されている所)である。そして慣習行事の為の棟、小さな土産店に改造された棟、台所棟、寝所となる棟、米の収納棟、家畜小屋、納谷が独立して並び、奥は相当広い家畜や農作業の場になっている。やはりここでも住居の造り全体に「ナウ、サンガ」の相関図が投影されていた。
 
店番はこの家の奥方、小柄な体つきで人の良さそうな目付きのヨーマンさん。年のころ40前後、家族は4人、御主人は例の広場に入るらしい。壁際に貴重品でも置くかのように並べられた、軍鶏の篭を恨めしそうに眺めながらガイドに嘆いていた。そう言えば門の手前にも軍鶏の竹篭が並んでいた。
 
今まで気にも止めなかったが、普通の鶏ににしては首が長く精悍で美しい羽並みをした鶏篭を、多くの集落で見かけた。闘鶏は生け贄の儀式として神々に捧げるものなのだ。だから人々は軍鶏を大切に飼う。それが今日毎夕暮れごとの、賭け事の道具に利用されてしまっている。
 
「村の構造は古き昔の姿を留め変わらない様子を示すが、押し寄せる観光の波は想像以上に速く、人々の心を大きく変えだしているのかも知れない」としみじみ感じさせられる今回の集落探訪になった。
 


 
 

 
 

   

 

 

 


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