建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第39話  バリ島.3 山は聖なる場所・海は不浄なる場所
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
赤道直下に近いバリ島は、欧米諸国の人々から世界で最もエキゾッチックな観光地として、永い間注目を浴びてきた。今から70年程前、すでにミゲル、コバルビアスという作家によって、そのバリ島のユニークな生活様子が紹介され、その中で急激に進行する島のリゾート化、近代化を憂いている。
 
がしかし70年経った今日の大きな変化は海岸沿いの一部の町で、山岳地や内陸部はそれ程変わっていないように思える。私自身幾度か島を訪れ感じる事だが、コバルビアスが記録した頃と同じ形態を不思議なくらいに島は保ち続けているようにも見える。
 
海辺の景観はどんどん変化していっても、山の集落景観はあまり変わらない。実はこの事は偶然でなく、古代バり人から守られて来た、特殊な世界観とそれに基ずく方向感覚が深く影響しているからと考えるのだ。
 
世界の多くの島社会では、当然海を中心に生活が行われている。例えば日本の島の生活を思い起こせば分りやすい。海は貴重な食料を得れる場、生命を支えてくれる聖なる場として島人に崇められて来ている。そうした海への思いの結実が、海を讃える祭りや信仰であり、海側に開いた住居造りであり、島特有の集落であると考える。ところがバリ島ではこの感覚は通じない。むしろその反対の思考性が働いている。
 
つまり彼等にとっては、「海は悪魔の住む空間であり、恵みどころか全てを飲み込む不浄な空間」だと言う。従ってその方向は「不浄な方向(ケロッド)」となるのだ。一方山は彼等の慕う祖先が住み、生命を維持する水が流れている「神聖な方向(カジャ)」となる。だから海は開発されてもよく、山は神聖な場として開発されない。とした単純な論理の組み立ては成り立たないだろうと思う。
 
しかしその二つの方向がもたらすバリ人特有の思考性は、家や集落造りはもとより日常の暮らしにも浸透し、全てに優先される価値基準になっているから、その強い関連性は否めない。
 
例えば人々の住む集落やその施設造りに関してであるが、その相対する二つの世界の間に人間が住むとしている。つまり町や集落は海なる悪魔と、山なる祖先の直行する軸の中間に在り人間は、いつもそれらの緊張関係に曝されているとしている。だからその緊張を和らげる為に集落に寺をつく必要が在ると言うのだ。バリ島の寺の多さは、そうした関係の中でも生まれたものなのだ。
 
海と山、バリ島特有の二つ方向性にさらに「東(カンギン)」と「西(カウ)」が加わる。東は太陽の出る方向、一日の始まり、それは人生の始まりでもあり山の方向と同じように大切な方向。西は陽の沈む方向、人生の終わりを示す、海と同じように悪い方向なのである。
 
山と海を縦軸に、東と西を横軸にそれで構成される相関図を「ナウン、サンガ」と言い、歴史的バリの多くの施設や集落、住居までもこの相関図を下敷きにして築かれているようだ。例えばこの相関図に当てはめれば、山側で東の方向が最も神聖で大切な方向、その方向には様々な神に関する祠が建てられ、聖なる樹木等が植えられる。
 
その相対する海側で西側は最も不浄な場となり死者の為場、住居なら便所や台所の用途になる。「ナウン、サンガ」の相関図は、現世と来世、人間と神や自然を結び付ける壮大な集落造りの青図(マンダラ)なのかも知れない。だからこそその祖先から守り支えられて来た青図は簡単には壊せないのだろう。
 


 

 
 

   

 

 

 


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