第4話 吉野杉
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現在の市場における銘木としてのほこりと吉野の森を支える新しい力
銘木と崇められた吉野杉も、樽丸や化粧材の需要が減少した今日、集成材や内法材、内装材への方向転換を行っている。一時期、銘木は100万円/㎡を超えて取り引きされたこともある。しかし、そうした時代は過去のことで、今日はその半値以下、しかも扱う量も半分以下となっている。他の林業地域なら死活問題であろう。
この地は借地林業制度の解体の結果、村外に住む巨大資本家が林地を所有することになる。特に五大林業家と呼ばれる北村・中野・岡橋・谷・栗山などの大規模経営者は、それぞれ2000~7000haの山林を所有する。こうした五大林業家以外にも村外大規模所有者の森林が3村には多く、森林の77%にも当たる面積をそれらの村外所有者が占めているのだ。
その五大林業家の一人、清光林業(株)の岡橋清元氏の山を訪れ、話を聞くことができた。岡橋氏は、吉野林業は先人たちの努力と恵まれた立地や市場環境の中で、それらに甘えて森林そのものの整備、特に林構作業路(林道)の整備を怠ってきたという。その結果、急斜面の地形もあって、今日の吉野は木材の伐採搬出にヘリコプターを使用しなければならない。現在その使用率が90%にもなっているのだ。ヘリを使用すれば3万円/㎡前後のコストがかかる。当然、材単価は上がるが、それでは市場競争に勝てなくなってきている。そうした吉野林業界の将来を予測して、岡橋氏は、自らの手で作業路を築いている。それらの作業路は現在、総延長2万3000mに達した。材の搬出だけを考えれば、架線集材もあるが、山の管理や見回りを考えると、車が入れることが理想だとして、傾斜地30度以上の急傾斜地にも林道を築く。「いかに自然を理解し、山を削るか。一歩間違うと自然破壊を招く。いく度も山に通ううちに、取るべきコースが見えてくる」という。吉野林業地の林道密度は10m/haである。岡橋氏は自分の山の林道を平均200m/haまで整備したという。
吉野においての新しいタイプの林業家の台頭と考えたい。この上北山の森林には樹齢70年の檜が植えられている。岡橋氏は、この山の主伐期を200年齢と定めている。作業道は、それに向けての整備なのだ。その頃には、当人も私達もこの地にはいないのだ。
江戸時代に植えられた285年齢の伐採場を岡橋氏の案内で見ることができた。根元で直径1.6m。輪切りにされた切り株は、人が10数人も乗れる。樹高57m、20階建てのビルの高さである。1本の材積20立方メートル。2年前から切りはじめたといい、今は葉枯らし中である。そうした巨木がこの川上村多古の急斜面に80本/haも立っていた。斜面に横たわる巨木を前に何ともいえない感激が心を走った。
いく代にもわたって育てた木を伐採しなくてはならない、林業とはつらい仕事でもある。山守制度、そして五大林業家という資本に支えられた吉野は、これからも日本を代表する美林地域として残り続けるだろう。がしかし、これからの道程は、決して安穏としたものではなく、厳しいものになる。県はそうした動向をふまえ、林業機械化センターを最近、吉野町香束にオープンした。若手林業家育成や近代化のための機械化普及、さらには林道・作業道工事の指導が主目的となっている。他の進んだ林業地からすれば、時すでに遅しとも思えるが、これは避けては通れない。林業では基本的なことなのだ。
課題は他にもある。それは樽丸、磨き丸太に変わる新しい木材の活用方法であろう。吉野材を消費者につなぐ、建築も含めた商品がなくてはならなくなってきているのだ。
そうした意味で、吉野材を内装材だけでなく、構造材適用を図る(有)フロンティアの上村哲司氏の試みは重要だ。また、今回の取材全般で大変ご協力をいただいた前記の吉野林業森林組合の坂本良平氏の試み、樹齢200年の吉野杉を利用したログハウスづくりには、大変、興味を持たされた。かつて高価な銘木と崇められた吉野杉を節の多い材を選んでログハウス材料として活用しているのだ。「酒樽ではなく、人の住まいにする」吉野銘木が真実に活かされたとも考えたい。こうした新しい木材活用の精神が今後とも吉野には必要である。木材関係者には、あの吉野の桜の下の悲哀の歴史を繰り返し味わってほしくないとも思っている。